日曜待つよの掌編小説

初詣

初詣

 

 新年を迎えて一月三日。
 昼ごろまで朝寝坊を楽しんでいたA氏は妻の小言で目を覚ました。
「お正月だからってごろごろしてたら駄目じゃない」
「三が日くらいゆっくりさせてくれ」
「なに言ってるのよ。今年は昇進試験があるんでしょ。しゃんとしなさいよ」
「わかってるさ」
 A氏は妻の顔を見ずに呟いた。
「おせちの残りがあるから食べちゃって」
「ああ」
「食べ終わったら初詣に行ってきたら?」
「初詣か」
「昇進試験の合格祈願に行ってきた方がいいわよ」
「そうだなあ」
 妻の言葉に生返事で伸びをした。
 A氏は都内の商事会社に勤める平平凡凡なサラリーマン。入社して十年。同期の仕事仲間たちが順調に出世を重ねるなか、A氏だけが取り残されていた。
 来月の半ばには二年に一度の昇進試験が控えている。毎回、些細な不注意から昇進試験を失敗しているA氏にとって、今年こそはなんとしても試験合格、昇進を願いたかった。

 妻の用意してくれたおせち料理の残りを食べ終え、身支度を整えたA氏は自宅の裏手先の小さな神社を訪れた。
 古びた鳥居をくぐり境内を見回すと、ちらほらと参拝客の姿があった。
 普段はめったに人のやって来ない神社だったが、それでもやはり三が日ともなると初詣の人出があるらしい。
 A氏は境内の砂利道を踏みしめ狛犬の脇を抜けて拝殿に向かった。
 黒ずんだ賽銭箱の前には三組の男女が並び参拝を順番待ちしていた。
 先頭の赤いマフラーを巻いた男女が賽銭を投げ入れたとき、
 ――あっ――
 A氏は、はっとしてジャンパーのポケットをまさぐった。
 数年前になるだろうか。妻と二人で初詣に遠出したときのことである。
 賽銭箱の前に立ってからA氏は財布を忘れてきたことに気が付いた。
「もう、なにしてるのよ」
「うっかりして……」
「仕方がないんだから」
 と、妻に賽銭を代ってもらった。
 結局、あの年の一年間もA氏は昇進試験をパスすることができず、仕事場でも些細なミスが目立ち査定評価を下げてしまった。
 今年の目標は昇進試験の合格。そのためにも、まずは常日ごろの不注意を改善しなければなるまいと思っていた。

 新年早々に、またも財布を忘れたのではあるまいかと息を呑んだが、ポケットにはきちんと皮財布が入っていた。
 ――今年こそは、うっかりミスをなくさないといけないな――
 前列の男女が去ったあとで、財布を開いたA氏は賽銭を放り、
「不注意の改善。試験の合格をどうかひとつ」
 と、大願成就のため鈴を鳴らした。
 初詣を終えると、A氏は体の奥底から不思議と気力が溢れてくるのを感じた。
 ――俺ってやつも単純だな――
 と苦笑いしたが、晴れ晴れした新年のスタートを切ることができたからかもしれない、A氏の足取りはとても軽かった。
「ただいま」
「あら、早かったのね」
「人も少なかったからな」
 妻は炬燵でミカンを剥いていた。
「俺にもくれよ」
 A氏も炬燵に足を突っ込み、卓上のミカンに手を伸ばす。
「どこまで行ってきたの?」
「裏手の神社だよ」

「ちょっと、しっかりしてよね」
「うん……?」
 妻はミカンを手に溜息をついた。
「あそこは安産祈願の神社じゃないの」
 A氏の体からみるみる気力が抜けていく。

 

                   


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