日曜待つよの掌編小説

紫煙の言い分

紫煙の言い分

 

 金曜日の仕事帰り。
 夜空には銀色の三日月が浮かんでいた。
 S夫は駅前銀座の馴染みの小料理屋『こふじ』に立ち寄った。
 『こふじ』は一年前に開店したばかりの店で、界隈ではほとんど知られていない。
 S夫は半年前にふらりと『こふじ』の暖簾をくぐってみたところ、ママに見惚れて常連になった。
 ママの年恰好はS夫より二つ、三つ上くらい。目鼻立ちのすっきりした面長の美人で、科を作る様が色っぽい。
 若い時分にはキャバレーで働いていたことがあるらしく、
「こふじはそのときの名前なの」
 と、S夫はママから聞いた覚えがある。
 小さな店構えだが駅前銀座に自分の店を持てるのだから、キャバレー時代には相応の人気があったのだろう。
 実際のところ『こふじ』のママと妻とを見比べてみると、
 ――うちのはスッポンだもんなあ――
 と、S夫は愚痴を漏らしたくなる。
 『こふじ』の引き戸を開けると、
「いらっしゃいまし」
 と、ママの艶っぽい声が飛んで来た。

「やあ」
「こんばんは。お久しぶりね」
「しばらく仕事が忙しかったから」
 S夫は苦笑いで答えながら、ママの立つカウンターに腰かけた。
「今夜はお客さんがいなかったから来てくれて嬉しいわ」
「たまにはママと二人で飲むのも悪くないね」
「うふふ。ご注文は?」
「水割りをもらおうかな」
「私もいいかしら?」
「もちろん。ママも飲んでくれ」
 ママは通しの小鉢を用意すると、慣れた手つきで水割りを作り始めた。
 S夫はスーツのポケットから煙草を取り出そうとして手を止めた。
「そうだ。ママ、来月が誕生日だろう」
「覚えていてくれたの」
「お祝いしないといけないな」
「本当に? 嬉しいわ」

「二人で美味いものでも食べに行こうか」
「あら、駄目よ」
 ママは水割りを差し出しながら、S夫をたしなめる。
「奥様に悪いもの」
「構うもんか」
 S夫は水割りをひと口飲み、ポケットの煙草に火をつけた。
「私よりも奥様の誕生日にプレゼントを贈ってさしあげたら?」
「あれにプレゼントをやるくらいなら、もっと上等な煙草に金を使うよ」
「もう、ひどいのね」
 ママはグラスを傾けて小さく笑った。
「怒られるんじゃなくて?」
「うん……?」
「毎日、毎日煙草を吸って」
「煙を吐くために金を使ってか?」
「そうよ。お金を捨てているのと同じだもの」
 紫煙をくゆらせていたS夫は、

「どっちもどっちだからな。怒られないさ」
 と、水割りをひと息に流し込む。
「向こうだってひどいお面相のくせして化粧品を買ってるんだ」
 S夫は虚空に思いきり煙を吐き出した。
 今夜の煙草は格別に美味い。

 

                   


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