日曜待つよの掌編小説

夜のサイレン

夜のサイレン

 

 十一月の終わり。月の陰った夜だった。
 最寄り駅からの帰り道、私は夜風の肌寒さにコートの襟を立てた。
 残業をこなし、最終電車に飛び乗って家路に就く。駅の改札を出たときには、もう十一時をとうに過ぎていた。
 公園の中を抜けて近道し、シャッター通りの商店街に差しかかったところで、私はどこか遠くから響いて来るサイレンを聞いた。
 カン。カン。カン。
 サイレンはときおり大きく、また小さくなって響いている。
 消防車のサイレンだなと思ったとき、頭の中をサッと女の顔がよぎった。
 なぜだろう。
 ――ああ、そうか――
 少しばかり思い惑ったが、すぐに女の顔とサイレンが結びついた。
 女は幼馴染の菜々子。サイレンの方は、私のほろ苦い思い出である。
 私と菜々子、そしてもう一人、友人のCと、三人は小学校から高等学校までの十二年間を一緒に過ごした同窓だった。
 三人の中では菜々子の生まれ月が一番早く、そのためばかりではないのだろうが、菜々子にはどこか年上然としたところがあった。私とCは、いつも菜々子の後をついていた覚えがある。
 中学校を卒業した頃から、私は菜々子に対して異性を意識し始めていた。
 朝夕の挨拶。私を呼び止める声。菜々子の何気ない仕草の一つ一つに、トクンと鼓動が鳴った。
 Cもまた同じように、菜々子に強く惹かれているようだった。はっきりと心中を聞いたわけではなかったけれど、いつか、

「菜々子はどんな男と結婚すると思う?」
 と、Cに問いかけてみたことがあった。
 Cは何も言わず、ただ押し黙って、なぜそんなことを尋ねるのかと聞き返したそうに私を見つめていた。
 ああ、菜々子を好いているんだな。私にはピンと来た。無言が何よりの証拠である。Cの方も、私が菜々子に好意を寄せていたことに薄々と感付いていただろう。
 当の菜々子本人の心情は知れなかったが、私は漠然と、そう遠くない未来に、菜々子と寄り添い合っている男は、私かCなのではあるまいかと思い描いていた。
 しかし、現実と想像が合致することはなかった。初恋とは、なかなかどうして上手く実るものではないらしい。
 高等学校を卒業して三カ月後のこと。
 私は図書館に行く途中で、ばったり菜々子と出会った。
「やあ、久しぶり」
「ええ」
「これから図書館に行くところだけど、一緒に来るかい?」
 菜々子は小さく首を横に振り、
「あたし、結婚が決まったの。来月には大阪に引っ越すの」
 と、早口で言った。
 私は呆気に取られて何も言うことができなかった。
「それじゃ、さよなら」

 一言別れを告げると、菜々子は走り去って行った。
 私はただ立ち尽くし、小さくなっていく菜々子の後姿を眺めていた。
 不思議と悲しみはなかった。虚脱と喪失感だけがあり、これが失恋なのかと思った。
 あのときもどこかで消防車のサイレンが鳴り響いていた。カン、カン、カンと甲高いサイレンは、未だに私の耳に残っている。
 今はどうしているのだろう。菜々子が大阪に移り住んでから結婚を知らせる手紙が届き、その後、数回手紙のやり取りがあったけれど、一度も顔は見ていない。
 ふと私の胸に黒い不安が込み上げた。理由はわからない。あるいは私の思い違いかも知れない。不安ではなく、今さらながらに菜々子への後悔が蘇って来ただけかも知れない。
 私はサイレンから逃げ出すようにして夜道を急いだ。

 

 それから一週間後、菜々子の訃報を知った。
 仕事からアパートに帰ると、ちょうど電話が鳴っていた。
「もしもし」
「俺だ。Cだ」
「よう。久しぶりじゃないか」
「聞いたか。菜々子のやつ、死んだって」
「えっ……」
「俺も驚いたよ」
「どうして? 病気か?」
「いや、事故らしい。火事だって」
 私の脳裏に、いつかのサイレンが鳴った。
「いつ?」
「先週だよ」
 黒い不安は菜々子の死を知らせていたのではあるまいか。
「なあ、覚えてるか」
「うん?」

「高校の頃だったかな。二人して菜々子に詰め寄ってさ。どんな男が好きか聞いたことがあったろう」
「そんなこと、あったかな」
 記憶を手繰る。一瞬、頭に響いていたサイレンが一際甲高くなった。
 思い出した。確かにそんなことがあった。

 

 菜々子は少しはにかんだ様子で言っていた。
「あたし、大恋愛がしたい。身も心も燃え尽きるくらい。きっとそんな人と結婚するわ」

 

                   


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