日曜待つよの掌編小説

聖夜の老人

聖夜の老人

 

 クリスマスイブの夜。一郎は仕事を終えてホテルに帰って来た。腕時計の針は十時を少し回っている。
 部屋のベッドに鞄を放り投げると、
 ――明はまだ起きているのかな――
 頭の中に一人息子の明の笑顔が浮かんだ。
 毎年、クリスマスは妻と明と一家団欒する。
 ところが、今年は一郎が長期出張を命じられ、単身赴任することになってしまった。顔をクシャクシャにした明に泣きつかれ、
「パパ、行かないで」
 真実、一郎は胸を痛めた。
 先月の明の誕生日には模型飛行機を贈ってやった。二、三日してプレゼントが届いたのだろう、
「パパ、ありがとう。お仕事頑張ってね。早く帰って来てね」
 と、元気な電話があった。
 それからまた二、三日して、
「パパ、一人で飛行機作れたよ。帰って来たら見せてあげるね」
 嬉しそうに弾んだ声を聞いた。
「来月はクリスマスだぞ。サンタクロースにプレゼントはお願いしたのかい」
「うん。プラモデルをお願いしたよ。飛行機と船のやつ」

「そうか。ママの言うことを聞いていい子にしていれば、きっと二つともサンタクロースがプレゼントしてくれるぞ」
「僕、いい子にしてるよ」
 明のリクエストを聞き、イブの少し前にはプレゼントを郵送しておいた。後は万事、妻が上手くやってくれる。
 一郎は上着を脱いで、受話器を持った。
「はい。もしもし……」
 妻のくぐもった声が聞こえた。すでに就寝していたのかもしれない。
「俺だけど、起こしちゃったかな」
「ああ、あなた。少しソファでウトウトしちゃって……。お仕事、お疲れ様」
「うん。明は?」
「三十分くらい前に寝たわ。起こす?」
「いや、寝ているならいい。クリスマスプレゼントは抜かりないよな」
「大丈夫よ。枕元に置いたから」
「そうか」
「口には出していなかったけれど、やっぱりあなたがいないから寂しいみたい」
「明に悪いことをしたな」
「お仕事だもの、仕方ないわ。帰って来たらうんと遊んであげて」

「そうするよ」
 五分ほど妻と話し込んで電話を切った。
 一郎は簡単にシャワーを浴びて着替えると、ホテルのラウンジ・バーに足を運んだ。
 妻と明たちとクリスマスを過ごせなかったのは残念だったが、
 ――明にプレゼントを渡すことができてよかった――
 胸の心配ごとが消えてホッとしたのだろう。少しばかり酒が飲みたくなった。
 バーのドアを押すと、薄明かりの中に先客が一人、老人がグラスを傾けている。カウンターだけの狭いバー。イスも四つしかない。
 一郎は老人の隣に腰かけ、ウイスキーを注文した。
 グラスを半分くらい減らしたところで、
「メリークリスマス。こんばんは」
 と、老人に声をかけられた。
「こんばんは」
「何かいいことでもありましたか?」
「えっ」
「お顔が綻んでいらっしゃったので」
 一郎は頬に手を当てた。明のことを考えて口元が緩んでいたのかもしれない。

「ええ、まあ。息子にクリスマスプレゼントを贈ったので」
「それはよろしいですなあ」
 老人は目を細めて、顔の下半分を覆い隠すほど豊かな白髭をゆっくりと撫でた。その姿がいかにも好々爺である。少し禿げ上がった頭、恰幅よい体型に赤のジャケット、立派な白い髭を見て、
 ――あっ――
 一郎は思わずサンタクロースを連想した。
 お考えはわかりますよとでも言いたげに、老人は髭をさすりながら微笑している。
「私、単身赴任中でして。今年は家族でクリスマスを祝えなかったんです」
 罰悪そうに老人から顔を反らして、一郎はグラスのウイスキーを流し込んだ。
「ほう」
「でも、とりあえず息子にプレゼントが用意できたので安心しましたよ」
「素敵なお父様ですな」
「どうしても仕事が優先してしまって。息子には悪いと思っているんですがね」
 一郎は苦笑した。
「そんなことはない。きっと息子さんも喜んでいるでしょう」
 と、老人の口調は、一郎を慰めるような優しいものだった。
「おっと、もうこんな時間だ。お先に失礼しますよ。これからひと仕事あるものでね」

 そう言うと、老人は席を立ち、カウンターに代金を置いた。
「これからお仕事ですか」
「どうしても私の他に代わりがいなくて」
「お気をつけて。メリークリスマス」
「今夜は聖夜だ。きっといい夢が見られるに違いない。私が保証しましょう」
 ホウホウホウと肩を揺らせて笑いながら、老人はバーの外に消えて行った。
 ――あの老人――
 これから空飛ぶソリでプレゼントを配りに行くのではなかろうか。
 ――まさか――
 馬鹿馬鹿しさが込み上げて来る。
 一郎はクスリと笑い、二杯目を注文した。

 

 翌朝、部屋の電話が鳴って目を覚ました。
「はい」
「パパ、サンタのプレゼントがあったよ」
 明の黄色い声が飛んで来る。
「そうか。よかったな」
「昨日のケーキ、美味しかったね。ママも言ってたよ」
「えっ」
 妻と明は同じ夢を見たらしい。一郎も見た。
 揃ってクリスマスケーキを食べる夢。まるで現実のようだった。
 ――本物だったのかな――
 バーの老人が頭に蘇る。
 夢の中、一家は幸福に包まれていた。

 

                   


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